子どもと対等になることを恐れない!「クラスはよみがえる」を読んで②

アドラー心理学

昨年度、転任した学校で任された3年生のクラス。

その中に、「支援を要する」子が一人いました。

4月は比較的おりこうさんで、2年生で担任をしていた先生から

「全然大丈夫そうだね!成長したのかもね」

といった話を受けていたのもつかの間。

5月あたりから、じわじわと様子が変わり始め、学習をまったくしなくなり、面倒なことや苦手な学習のときには奇声を発し、時には教科書を破き、はさみで机をガンガンたたきつけ、ちょっと目を離すと、液体のりを元ふたを外して机の上にべっとり出す、などなど、、、

結局、一年間を通して様子が改善されることはなく、自分の力のなさを痛感させられました。

しかし!

今年度、4年生に進級したクラスを担任するのは、のび太くんの担任の先生を現実移植したような先生。

同じフロアはもちろん、別フロアからもこの先生の一喝が聞こえるほど、最近ではなかなか見かけなくなった強面先生です。

さて、昨年度、やりたい放題だったこの子。

どうなったかというと、しっかり席に座り、なんなら授業中に手を挙げて発表するほどおりこうさんに!!

「あぁ、やっぱりなんだかんだ言っても、厳しい指導、有無を言わさぬ縦型指導は必要なのかな」

と本気で考えさせられるほど、クラスはビシッとまとまっています。


この事例をお読みいただいて、どのようにお感じになられたでしょう。

やはり、子どもたちには「昭和方式」の厳しい指導が必要でしょうか。

教師の尊厳を示すため、ある程度「怖さ」を子どもたちに植え付けておくべきなのでしょうか。

どんなに言うことを聞かなくても、どんなに正しいとは言えない行為をしてしまっても、子どもたちを恐怖で統治することは許されないのではないか、というのが私の考えです。

教師という仕事に就いてから、一番繰り返し読んでいる著書であることは間違いないのが、野田俊作・萩昌子 著「クラスはよみがえる」です。

上記の版はすでに廃盤になっているようで、新版が出ているようです。

ちなみに、以前、同著に関する記事を書きました。

“学校から出る不良品率は驚くべき高さ”!?『クラスはよみがえる』を読んで①
この夏休み、大変印象深く、そしてぜひ実践したいと思える良書に巡り会いました。 みなさんは、『アドラー心理学』という言葉を耳にしたことがありますか? 実は、わたしもこの本を読むまでは、その言葉くらいしか知りませんでした。 ...

教師は子どもより上であるべき

教師は子どもより上。

子どもは教師を尊敬し、服従すべきだ。

本当にそうでしょうか。

子どもは教師を尊敬する。

これは、ある意味では良いことかもしれません。

教師も子どもを尊敬するのであれば、ですが。

クラスを経営するときに、最も必要な意識は「協力」による関係作りだといえます。

そして、「協力」をすることができる関係を築くためには、「対等である」ということは不可欠です。

これは、「教師」対「子ども」であっても、です。

以下、「クラスはよみがえる」から引用します。

教師が生徒よりも上に立っているかぎり、協力原理にもとづく教育は不可能です。あなたとあなたの生徒たちとが、まったく対等の人間であることを、けっして忘れないようにしてください。

大人同士であっても、上から目線の相手に対してはあまりよく感じないものです。

逆に、部下をたてる上司、どんな相手とでも対等に意見を募り話を聞いてくれる管理職、に対しては、信頼すべき、尊敬すべき人間だと認識することが多いはずです。

子どもに対しても、同様に上下関係を持ち込まないことが大切だと思うのです。

しかし、学校現場では往々にして「教師が上で生徒は下」「教える側が偉くて、教えられる側は謙虚であるべき」という考えが未だにべったりとはびこっているのが現状です。

しかし、それは「役割」としての価値と、「人間」としての価値を混同してしまっています。

教える側と教えられる側は、その役割としては教える側が立場が上になることがあるけれど、人間としての価値には、大人も子どもも、教える側も教えられる側も、いささかの上下もありません。

あなたとあなたの生徒たちとは、まったく等価値の人間仲間なのです。年齢とも能力とも社会的位置とも関係なく、人間として等価値なのです。等価値の人間の一方がたまたま早く生まれてたまたま教師という役割を引き受け、もう一方がたまたま遅く生まれてその生徒という役割を引き受けることになっただけなのです。

まったく等価値の人間仲間

儒教の教えが根深い日本では、「長幼の序」といわれるように、「年上を敬い、従わねばならぬ」という慣習が残っています。

しかし、いったいなぜ「大人が上で、子どもが下」なのでしょうか。

たまたま、偶然早く生まれ、たまたま、偶然遅く生まれただけなのです。

もちろん、人間として、どの相手にも同じように、敬い、認め合う態度を持つことは必要です。

しかし、子どもたちに「大人を敬え」と強要するのは、「相互に尊重」することに矛盾します。

子どもが上で大人が下だとおっしゃるのなら、まだわからないでもありません。なぜなら、子どもたちは、われわれ大人たちよりもはるかに正しいからです。(中略)だって、彼らの方が若いのですから。次の時代を作るのは彼らなのですから。ですから、彼らの意見は、いつでも、われわれの意見よりも遥かに重要なのです。彼らの言うことにはいつも耳を傾けるべきです。それは未来からのメッセージなのですから。子どもたちには、最大限の尊敬を持って接するべきです。

子どもを尊敬すること

子どもに「大人の威厳」を盾にして服従を強いることは、競争関係の中で生きることを強いることと同じことです。

競争原理で生きる子どもは、「負けると大変だ」という恐怖心を抱いて、そうならないように必死に行動します。

競争関係に生きることになれてくると、利己的で、強者にだけ従い、弱者に同様の競争を求める人間になります。

恐怖によって統治することで成功した政権は、これまでに一度としてありませんでした。

今必要なことは、この、競争の関係を脱却し、子どもを徹底的に尊敬することなのだと筆者は言います。

私も、この意見に賛成です。

明日の世界を担う子どもたちを尊敬し、対等な人間関係の中で生きていくことは、子どもたちに「信頼」という大切なメッセージを伝えることにもつながります。

可能性を秘めた子どもたちを尊敬していくこと、それを教師が率先して行うこと、これが今求められていることなのではないでしょうか。

(参考文献)

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