先日、以下の記事を読みました。
子どもに「謝りなさい!」と言っていませんか?│スズコ、考える。(2014.9.16)
非常に考えさせられる記事でした。
子どもに関わる仕事のため、子ども同士のトラブルなどは日常的に起きます。
『いけないことをしたら、謝って当然』
大人の世界では、当たり前なこと、常識として考えられがちなことです。
しかし、やり方を間違えてしまうと子どもの成長を著しく損なってしまう危険性があると改めて再認識しました。
「謝りなさい!」の問題点
記事にもあるように、大人が一方的に「謝りなさい!」と子どもに言って聞かせることの問題は、子どもが自分のしてしまったことを冷静に見つめ、自己を振り返り、反省するのには、大人が思う以上に時間が必要だということです。
心の整理がつかないのに、恐ろしい剣幕で大きな大人から「謝りなさい!」と怒鳴られたら…
多くの子どもは萎縮するか、反感を覚えるか、この記事の子どものように泣き出してしまうでしょう。
さらに、この「怒られる怖さ」「怒鳴られる恐ろしさ」が日常的になってしまう子どもは、とりあえず目下の恐怖から逃れるためにとりあえず謝っておこう、という心理が働きます。
本来『相手にしてしまった自分の行為は、相手を傷つけてしまうものだったな』『ひどい事をしてしまったな、かわいそうな事をしてしまった』といった自省の念が大本にあって、それが言葉として表出されたものが「ごめんなさい」という謝罪であるはずです。
しかし、この例では、自分にとって不都合な状況(「謝れ」と強要され、恐ろしい大人の前でどうする事もできない状況)からの逃避として「ごめんなさい」を言うことになってしまいます。さらに悪いことに、大人はその「とりあえず」な子どもの「ごめんなさい」を耳にすることで、事が終結したと思い込むことが非常に多いです。子どもの心の内はとにかく、「ごめんなさい」の言葉を聞けば「それでよし」と子どもを解放してしまうのです。子ども自身が反省したのかどうかは全く蚊帳の外のまま、にです。
子どもが自省できる状況を
多くの場合(この記事でも筆者が感じられているように)、なにかマズいことをしてしまった子ども、謝らなければならない状況に陥った子どもは、その時点で「マズい事をした」「ヤバい」と既に感じています。
さらに、「でも僕だけが悪いんじゃない」「理由があるのに…」といった具合に、自分の思いや、いいわけも同時に感じている事が多いでしょう。「わざとじゃないもん」といった風に。
つまり、大人としてできる事は、そういった子どもの心の声を、その子自身の言葉として上手に表出してあげる手助けをしてあげる事なのだと思っています。
そのプロセスの中で、「いけない事をしたな、相手に謝罪したいな」という気持ちが芽生えたなら、そのときに心から「ごめんなさい」と謝ればよいのです。
子どもの心に共感する
理由も聞かずに、「謝りなさい」と怒鳴られたのでは、子どもと言えども納得する事は出来ないでしょう。
まずは、何が起きたのか、どうしてこうなったと考えるのか、言いたい事は何か、といった、子どもの今現在の気持ちを引き出す事が大切ではないでしょうか。
「なにがあったの?」
「どうしてこうなっちゃったんだと思う?」
「それで、君はどう思うの?」
その後で、子どもの気持ちを上手に引き出してあげる事が大切です。
子どもは、自分で様々な感情がわき上がっている事を自覚する事はできますが、その気持ちを上手に表現することができず、その結果黙り込んでしまうということもあります。
「そうか、じゃあ、『しまった!マズい!』って思ったんじゃない?」
「それなら、『ぼくだけが悪いわけじゃない』とも思った?」
「そうか、すごくビックリしたんじゃない?」
言葉よりも、視覚に訴える
大人の悪い所は、理詰めで言葉で相手を説得しようとしがちです。
「なんてことをしたんだ、相手もいたがっているじゃないか、だから謝りなさい。」
「君が悪い事をしたんだから、謝って当然だ」
しかし、言葉でいくら言われても、そもそもマズい状況下にあって本人自身も動揺している中で、相手の気持ちまで察する余裕は大人であっても難しいでしょう。子どもなら尚更です。
それよりも、迷惑をかけてしまった相手の表情をじっくりと見るように促したり、ケガをさせてしまったのなら、相手の辛そうな状況をしっかり見るように声をかけたりするほうが良い場合があります。(もちろん、その状況によります)
「相手は、すごく困った顔をしているね。」
「ねえ、相手の顔を見て。どんなきもちでいると思う?」
「ひざをすりむいてしまっているね、とても痛そうだと思わない?」
「相手の目を見て。涙がこぼれているよ。きっと本当に心から寂しい気持ちなんだろうね。」
決して無理強いしない
謝る事を強制すると、「謝れば事が済む」という暗黙のルールを子どもに植え付けてしまうことがあります。
時折、なにか不都合な場面に遭遇すると、矢継ぎ早に謝ってなんとかその場を逃れようとする子どもも見かけます。
自分の気持ちにじっくり向き合って、ときにはその場で謝ることができなかったとしても、時間を置いて、翌日でもよいので、自分の心の整理がつけば相手に気持ちを伝えることができるような子どもの育成に携わりたいものです。
自分自身のこれまでの教育活動を振り返る、とても良い機会を得ることができました。